芭蕉が見た「本物のみちのく」の魅力解説本を出版し、地域観光の活性化へ繋げたい!

郷土の名所・旧跡を芭蕉の視点で伝えるガイド体験を通して調査研究成果20余年分を一冊の本にまとめた『奥州仙台領のおくの細道』を出版。 郷土に誇りを持つ“粋な伊達の語り部”の育成と、不易流行の地域の宝を活用して、心豊かな観光地の活性化へと取り組んでいくプロジェクトです。

現在の支援総額

411,500

41%

目標金額:1,000,000円

サポーター

39

残り

終了

このプロジェクトは終了しました

このプロジェクトは、2022年01月11日に募集を開始し、2022年02月27日 23:59に終了しました。

2024年09月10日

9月7日「おくの細道松島海道」定例出前講座開催

演題は「おくの細道」十七カ条―歌枕・しおがま
『おくの細道』十七カ条:歌枕・しほがまと壷の碑も『おくの細道』の核とした主張であり、引続き、「塩竃桜と松島の月」を心に懸けた翁の心象を調査、紹介してまいります。
芭蕉の紀行文は3種類ある。
① 「奥の細道」は芭蕉が題も本文も自筆で書いたものを弟子の野坡が所持していたといわれ野坡本
② 「おくのほそ道」曾良本は自筆本を素龍という文字を書くのが上手い人に清書させて、さらに芭蕉が加筆訂正を加えたもの。
③『おくの細道』野坡本は弟子の一人である野坡(やば)が所持したとされる。

十七カ条とは
起・承・転結を17に分ける。「奥の細道ノート」では14だが、
*15―「壺」とは宮中の庭の意味。芭蕉は壺の碑を「壺」と書いた。今は「壷」と書かれているのが多いが、壷は水などを入れる器のこと。
*16―塩釜桜。芭蕉は西行法師を慕って旅に出る。「伊勢物語」に塩釜は日本一と書かれており、「奥の細道ノート」にはこのことが書かれていない。
*17―5月9日瑞巌寺に来たと曾良の日記にあるが、芭蕉は5月11日と書く。5月1日と11日が「奥の細道」のピークのところだが、5月1日は実際は曾良の日記には5月2日。テキストp27の「飯塚」は「飯坂」の間違いでは。「岩沼宿」も素龍の書き間違えで、「岩沼」に泊まってはいない。
また、塩竃編で「あまの小舟」は歌枕で、「こぶね」ではなく「おぶね」である。
仙臺藩主は歌枕で地名を「つつじが丘、みやぎ野、木(こ)の下」と付けた。

「塩竃の桜」
桜の花は散り際がさっぱりしている。実朝28歳、義経31歳、和泉三郎24歳、蝉吟25歳、と若い人が桜の散るようになくなっている。花といえば「桜」として登場するのは「伊勢物語」以後で、塩釜の桜と松島の月を見るのが風流、風雅の人としてあこがれた。それ以前は花と言えば「梅」だった。その後、秀吉の醍醐の花見の宴などで桜が有名になる。
次回は10月5日(土)午前10時より12時、塩竃市公民館

ページトップへ戻る