芭蕉が見た「本物のみちのく」の魅力解説本を出版し、地域観光の活性化へ繋げたい!

郷土の名所・旧跡を芭蕉の視点で伝えるガイド体験を通して調査研究成果20余年分を一冊の本にまとめた『奥州仙台領のおくの細道』を出版。 郷土に誇りを持つ“粋な伊達の語り部”の育成と、不易流行の地域の宝を活用して、心豊かな観光地の活性化へと取り組んでいくプロジェクトです。

現在の支援総額

411,500

41%

目標金額:1,000,000円

サポーター

39

残り

終了

このプロジェクトは終了しました

このプロジェクトは、2022年01月11日に募集を開始し、2022年02月27日 23:59に終了しました。

2023年04月01日

4月1日から「出前講座」多賀城会場で始まる

4月1日「出前講座」は多賀城文化センターで開催(会議室am10時~12時)

テーマは「多賀城への芭蕉路解説」
国府多賀城成立の水運について
神亀元年(724)以前の国府・郡山遺跡(現・長町)より多賀城に移された遺跡群や「延喜式神□帖」(名取郡二社「多賀大社」)などから、「東海東山節度使」藤原朝□かり」の支配境界が、「多賀城碑」に記載されます。特定に至っていないのが「靺鞨国去三千里」をはじめとする「水運」関連です。湊浜(七ヶ浜町)から砂押川で国府成立に至る歴史や、なぜ、多賀城碑が歌枕「壺の碑」と呼ばれたかに注目したいと思います。
また、多賀城教室で1年かけて学びながら、先人の資料にもとづいてその場所を歩いて確認する計画もあり。「奥の細道」は世界で日本の文学として本格評価されているが、その中身を学び、多賀城における芭蕉路の地図を作る予定。

元禄2年に芭蕉が多賀城に来た時には、多賀城碑を直筆で書き写しているが、そこには「つぼのいしぶみ」とは書いておらず、当時地域では「竪石」と呼ばれていたそのまま「竪石」と書き記す。そののちに多賀城碑を芭蕉が紀行文の「奥の細道」で「つぼのいしぶみ」と表記し有名になった。竪石と呼ばれていたわけはまだ不明とか。
写真が趣味の参加者から、京野講師が四季折々松島の満月の写真を撮り続けているので、どこでいつ撮影したらよい写真が撮れるかと。その場で月のきれいな見所と時期を解説。西行や芭蕉が見た松島は今も味わえるかも。
次回は5月6日(土)東北歴史資料館(JR東北本線「国府多賀城」駅隣り)

ページトップへ戻る