宮城県を代表する老舗ラーメン店の新たな挑戦

【「らーめん蔵」再始動!】2024年5月、後継者不在で一度は幕を下ろした名店「らーめん蔵」の復活プロジェクト。最後まで皆様、応援のほどお願い致します!

現在の支援総額

1,365,000

136%

目標金額:1,000,000円

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あと20

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このプロジェクトは「All-In(即時支援型)」です。目標金額に関わらず、2024年11月07日 23:59までに集まった金額がファンディングされます。

【 引き続きの応援のお願い 】

皆様のご支援で、想像以上の速さで第一目標の100万円を達成することが出来ました。
本当に、ありがとうございます。

「らーめん蔵」が、いかに多くの方々に愛されていたのか、今一度実感しております。

現在も、「支援をしたい」「協力したい」「復活に少しでも参加したい」「力になりたい」等、嬉しいお声をたくさんいただいております。たくさんの方々のお声を頂戴しまして、第二目標を設定いたしました。

第一目標は達成致しましたが、引き続きご支援いただけますと幸いです。

ご支援いただきました内容につきましては、さらなる人材教育、また、古くなった設備の改修等に充てさせていただきます。
古くなった設備は新しく入れ替え等致しますが、「らーめん蔵」の伝統は守り、変わらぬ味を守り続けることに充てさせていただきます。

引き続きご支援の程、よろしくお願い致します。

【 第二目標金額 ¥2,000,000】

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【 名店 「らーめん蔵」 復活! 】

2024年5月に後継者不在のために多くのファンから惜しまれつつも
お店を閉める運びとなっていた、宮城県を代表する名店の「らーめん蔵」。

創業者・三塚氏と、【三塚氏「公認」】の正統後継者が出会い

このたび
2024年11月下旬の再開を目指す【名店「らーめん蔵」復活プロジェクト】が始動!
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【初めに】

宮城県多賀城市大代に店を構える「らーめん蔵」は、長年にわたりラーメンの名店として多くの人々に愛されてきました。創業から30年、変わらぬ味を守り続け、地域の皆さんの心を掴んできたのです。

店主である三塚さんは全国各地の名店を食べ歩き、27歳の時に独学で「らーめん蔵」を開業しました。これまでの経験と情熱を注ぎ込んだラーメンは、まさに彼の努力の結晶の一杯です。

出汁やスープに対する妥協のないこだわり、そして「お客様に笑顔で帰っていただきたい」という思いが、多くの人々に愛され、名店と称されるまでになりました。

今回のクラウドファンディングは、「らーめん蔵」の味と三塚さんの想いを未来へと引き継ぐためのプロジェクトです。

これまで「らーめん蔵」を愛してくださった皆様、そして新たに応援していただける皆様、
ぜひ、ご支援のほどお願いいたします。
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【らーめん蔵の特製ラーメン】

「あっさり」のスープは
動物系スープに煮干し、カツオ、サバ、昆布など厳選した素材を使用し早朝より3時間以上かけてじっくり煮込みます。

「こってり」のスープは
豚のゲンコツ、鶏ガラ、香味野菜などを強火で一昼夜かけて煮込んだ濃厚なスープです。

手間暇かけて出汁の旨みが凝縮されたスープに自家製麺を合わせており、一杯一杯がこだわりの詰まったラーメンです。
その奥深い味わいが、多くの人々を魅了してきました。
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【創業者三塚さんの想い】

創業から30年間、三塚さんにとって「らーめん蔵」は自分の一部ともいえる大切な存在でした。

創業当初から人気店だったわけではなく、特に最初の4年間はなかなか思うようにいかず
苦労の日々が続いたそうで、常に試行錯誤の連続だったのだとか。
お店が休みの日でも三塚さんは休むことなくスープの研究に時間を費やし、ようやく「名店」と呼ばれるまでになったのだそう。

しかし、三塚さんは今現在でさえ「まだ完成ではない」と語り、常に「より良い味」を求め改良を重ねてきました。
その天井の無い努力と情熱が、「らーめん蔵」が多くの人々を惹きつけ続けた理由なのかもしれません。

休日も試行錯誤に時間を費やすような大変な日々でも、三塚さんは「仕事が趣味のようなものだったから、どんなに辛くても続けてこれた」と話してくれました。その言葉からは、お店への深い愛情と強い信念を感じました。

創業当初は学生だったお客様も、時代の移り変わりと共に大人になり、現在ではご自身のお子様やお孫様を連れて足を運んでくださる方もいらっしゃるそうで
『世代を超えて愛されること』に三塚さんは大きな喜びを感じ、またそれが彼の「活力」になっていたのでした。


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【体力の限界】

しかし、三塚さんは「らーめん蔵」と共に年月を重ねるうちに自身の体調の限界に気づきます。
30年間、早朝4時からの仕込みから始まり、1日の大半を立ち仕事で過ごします。故に
体の至るところに支障をきたしてしまい、常に首・肩・腰の痛みを抱えており実際倒れたことは2度もあったそう…。
周囲からは「このまま続けたら命を落としかねないから、もうやめるべきだ」と、命の心配をされるほどの状況でした。

三塚さんご本人も自身の体の限界を感じたのと同時に、
自分が創り上げてきた「らーめん蔵」は長年の経験やたくさんの想いが詰まったものであり、「簡単に引き継げるものではない」と考え、本音としては「残していきたい」想いがある中で、引退と共に店を閉める覚悟だったそうです。
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【正統後継者との出会い】

そんな折、三塚さんと金城らとの出会いがありました。
油そば専門店「はてな」の創業にも携わった金城らは学生時代から「らーめん蔵」の大ファンでした。

金城自身は大手飲食会社グローバルダイニングにて飲食店に従事、その後は東京の名店にて修行、飲食店・ラーメン業共にしっかりとした経験と知識のある者です。
さらにラーメンやお店に対するこだわりや情熱は、三塚さんと通ずる部分が多くありました。

故に、三塚さんは金城らと話をするうちに彼らになら「らーめん蔵」を“任せられる”と強く感じるようになったのでした。

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【東日本大震災】

話は少し遡りますが、2011年3月11日に発生した東日本大震災では、
「らーめん蔵」のある多賀城市も津波によって大変大きな被害を受けました。

らーめん蔵の店内は床下浸水が約1メートルにも達し、海水を含んだ泥に覆われ、壊滅的な状況だったそうです。多くの人々が悲しみに飲まれ、悲嘆に暮れる中
店内が壊滅的な状況にも関わらず三塚さんは 「少しでも地域の希望の光になりたい」という想いから、わずか1ヶ月後の4月30日には営業を再開しました。

市内にはまだ瓦礫や泥などが多く残るような状況での「らーめん蔵」の早い再開は、多賀城市の住民にとって大きな希望と勇気を与える出来事だったことは間違いないでしょう。

金城もまた、多賀城市内で津波の被害を受けた建物を復旧させ2012年12月に「油そばはてな多賀城本店」のオープンに尽力しました。
その建物を選んだ理由は、被災地の再生を通じて地域に貢献したいという強い思いからです。この想いもまた、被災直後に「らーめん蔵」の営業を再開した三塚さんの信念と、深く通じ合うものがあったはずです。


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【未来へ】

最初は自身の引退と共に閉める覚悟だったお店ですが、
話をするうちに金城らへの「期待」は「確信」に変わったそうです。

自分と共通する「想い」や「情熱」「信念」
そして彼らの「らーめん蔵」に対しての本気の向き合い方は、レクチャーを受ける姿にも現れていたと言います。

「やる気が違う、やってくれる人だと思う。自分には分かる。」
と、三塚さんは語ってくださいました。
だからこそ、我が子同然の「らーめん蔵」を[正統後継者]として金城に託すことを強く決意されたそうです。


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【 老舗の 「味」 と 「想い」 をこれからも 】

「らーめん蔵」の味は、単にレシピをなぞるだけでは再現できません。長年の経験や感覚、そしてお客様への想いが全て詰まっています。それを引き継ぐには並大抵の覚悟ではできません。金城はその味と想いをしっかりと受け継ぎ、さらに進化させ、
次の世代にも愛されるお店として「らーめん蔵」を守っていく努力を惜しみません。

30年続いた伝統の味を未来へつなげるため、金城は三塚さん直々にご指導を受け、修行を続けております。

集まった資金は、店舗の改装や新しい設備の導入などに使わせていただき、老舗の「味」「伝統」を守り
30年世代を超えて通っていただいた常連さんにも、安心していただけるお店であり続けます。また、次世代まで愛されるお店作りに尽力致します。


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【最後に】

三塚さんの想い、そして「らーめん蔵」を愛してくださる全ての皆様の想いを胸に、新たな挑戦が始まります。

これまで「らーめん蔵」を愛していただいたお客様が変わらず訪れ、
そして次の世代にも足を運んでいただけるよう、名店の味を未来へと繋ぎ続けていきます。

事業承継に際し、三塚さんからこんな言葉をいただきました。
「“あってよかった”と、これからも思われるお店であり続けてほしい。何よりも楽しくなければいけない。だから、笑顔を忘れずに。」

この想いを胸に、これからも笑顔を大切に、お客様に愛され続けるお店づくりに尽力致します。

皆様の温かいご支援を、心よりお待ちしております。

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